10年ほど前、ある女性が発展途上国で起業し、 がむしゃらに突き進んでいく「泣き笑い体験記」を 読んだことがある。 私も無鉄砲に南方のジャングルばかり行っていたけれど、 正直なところ「彼女には負けた」と思った。 でも、すがすがしい読後感だった。 その本を今の20歳前後の若者に読んでもらった。 そしたら予想外の反応が。 「イライラする」 「彼女はまわりが見えていない」 「こんな危険なことをするなんて、 私の友人だったら絶対にやめろと言う」 「がんばっている感がいや」 「理解できない」 さらには、 「こんな努力家の彼女にこそ、『つらいときは 逃げてもいい』と言ってもらいたい。そうしたら 救われる人はたくさんいると思う」 という要望まで。 みんな、のびのびと日々を満喫しているように 傍からは見えるのだけど、どこか鬱屈した気分が あるのだろうか。 思い通りにならない自分、何者かわからない自分、 それに葛藤する時期はあると思うし、だからこそ 彼女が一つの指針になればと思ったのだけど、 拒否反応を示す若者が大多数という現実に驚愕した。 ある女子学生の言。 「いや、彼女ががんばっているのはわかるよ!? もうちょっと若い頃なら納得できたかもしれないけど、 大人になってくるとさ、世の中ってそんな、 自分ひとりで何か変えられるわけでもないのが わかってくるし。だから共感できないんだよね」 ・・・それは「大人になった」のではなくて、 ニヒリズムに過ぎないということを言いたかったけど、 「ニヒリズム」を理解してもらえるかどうか わからなかったので・・・ 言うのをやめました。
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